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【ネット上で見られる誤解】 

 ネット上では、警察が事故の責任を逃れるために、証拠を捏造してバスの運転手(以下、K氏)に責任を押しつけたという論調ほぼ一色ですが、単純な誤解に基づく主張も見受けられます。

●バスが動いていたという物的証拠はブレーキ痕だけ?

 弁護側の「タイヤ痕」が偽造されたという主張に関連して、「急ブレーキ痕」が、有罪の決定的な証拠になったという話があります。
 これは、検察側の主張する起訴事実が、衝突時にバスが動いていたというものだからなのですが、バスが動いていたということについては、タイヤ痕以外にも物的証拠(鑑定材料)があります。
 決して、タイヤ痕だけで有罪になったわけではありません。
 また、裁判所はタイヤ痕が「急ブレーキ」でついたものとは断定していません。

しかも、スリップ戻様のものが、上記のとおり、停止地点からやや右に流れるようになっていたことからすると、進行していた被告人車が、Y車に衝突され、前部に絡み付くように停止したから、被告人車のタイヤが、横滑り(あるいは同時にロックも)して停止したことによって形成された可能性もあるから、被告人車のタイヤが完全にロックされていた、すなわち、急制動があったとは限らない。
(高裁判決文8頁)

(略)算定書は、(略)衝突現場の状況並びに被告車及びY車の各諸元及び損傷状況等を元に、物理の専門家の立場から、被告車及びY車の衝突時の各速度を算定したものである、そうすると、基になる資料は、本件事故直後のスリップ痕様のもの、擦過痕、被告車及びY車の各諸元等である以上、(略)
(高裁判決文12頁 ※Y車=白バイ)

→【裁判での弁護について】
→【バスが動いていた物的証拠】
→【走行実験について】
→【タイヤ痕の謎?】

●白バイに過失があれば、バスは無罪?

 バスが止まっていたという弁護側の主張に基づき、止まっていたバスにぶつかって来た白バイに事故の責任があるのだから、バスは悪くない(無罪)というものがあります。
 しかし、刑事責任には過失相殺がありませんから、白バイ側に過失があっても、それだけでバス側の責任が否定されることにはなりません。
 裁判所も、白バイ側の過失について言及しています。

(略)被害者にも前方注視義務が課せられる状況にあったことを考慮に入れても(略)
(地裁判決文18頁) 

 実際、交通事故で、一方当事者の責任が全くないというケースは稀です。
 本件事故の場合は、直進バイクと路外進入車との事故になりますが、民事の過失割合で言えば、弁護側の主張を全面的に認めたとしても、せいぜい5対5でしょう。

 (参考)
 過失割合ズバリ!単車と四輪車の事故
 四輪車が非優先道路から単車の直進する優先道路へ右折してきた場合
 http://kashitsu.e-advice.net/car-aut/158.html
 四輪車が路外から道路に進入し、道路を直進する単車と接触した事故
 http://kashitsu.e-advice.net/car-aut/169.html

→【参考判例】
→【警察の隠蔽工作?】

●バスに乗っていた生徒は口をそろえてバスが止まっていたと証言している?

 確かに、バスに乗っていた生徒のほとんどは、K氏の「無実」を信じ、後に、署名集めなどの支援活動をしていたようですが、事故当時の新聞社の取材では、全員がバスが止まっていたと証言しているわけではありません。
 多くの生徒は明確な証言はしていませんし、バスが動いていたと証言している生徒もいたようです。

生徒にはおかしげな取材をして「動いていたと言った生徒が3人いた」と書いていますよね。でも。どの程度動いていたかを聞いたんですか?後の十数名は『わからない』と答えたんでしょう?
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-24.html

本紙はバスに乗っていた生徒のうち、二十人から対面で話を聞いた。
事故の瞬間の明確な記憶が残っていない生徒も多いが、三人が『バスは止まっていた』とする一方で、同数の別の生徒が『バスはゆっくりだが、動いていた』と答えており、弁護側の主張に全面的に沿ったものとも言えなかった。
(高知新聞 2007年10月28日 朝刊)

http://www34.atwiki.jp/madmax_2007/m/pages/390.html

→【記憶=真実?】
→【車内で撮影された写真】

●白バイに追い越された軽トラックの運転手が、白バイの速度超過を証言している?

 裁判で、弁護側は、白バイ側が速度超過で走行していたと主張しています。
 確かに、軽トラックの運転手が裁判で、白バイの速度超過について証言していますが、白バイに追い抜かれたとは証言していません。

(略)B氏の供述内容は、本件現場付近を時速約50キロメートルないし55キロメートルで走行中、脇道から当該白バイが自車の前方約10メートルの間隔で合流してきたので、軽くブレーキを踏むと、当該白バイは、いったんは乗員が座り直すような仕草をし、その後に加速しながら走り去り、その速度は時速約100キロメートル程度と思われたというものである(略)
(地裁判決文17頁 ※B氏=軽トラックの運転手)

→【弁護側証人の証言が採用されなかった理由】
→【白バイの違法訓練?】
 
 
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【弁護側事故鑑定人の鑑定能力について】 

 弁護側事故鑑定人、石川和夫氏(日本自動車事故解析研究所、所長)は講演会で、「タイヤ痕」について説明していますが、明らかにおかしなところがあります。

 「高知県警白バイ事故、解析講演会」
 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=M0TsJH_IbnM(動画)
 http://www34.atwiki.jp/madmax_2007/pages/525.html(テキスト)
 1、(0:00-)左右でズレる痕跡の謎
 これはね、 「アッカーマン運動」 と言いまして、後輪の延長線上の或る点、ここを中心として左右に曲がるんですね
 ですから右の痕跡と左の痕跡というものは、必ず同心円を描くんですね
 でこれをパッと見て、御覧なると解ります様に、全然デタラメなんですね
 ・・・同心円を描いてない


 「アッカーマンの原理」とは、四輪車が旋回するとき、内側前車輪は外側よりやや強く偏向し、両輪の軸線の延長は後車輪軸線の延長上の一点に集中しなければならないという原理です。
 外輪より内輪の切れ角を大きくすることで、前後四輪の回転(旋回)の中心は同一点となり、車はスムーズに旋回することができます。
 このとき、四輪の描く軌跡は同心円となるのですが、これは、車が通常の旋回(定点旋回)をしているときの話です。

 (参考)
 アッカーマン理論曲線
 http://www.enjoy.ne.jp/~k-ichikawa/car_Ackerman.html

 逆に言うと、タイヤ痕(タイヤの軌跡)が同心円を描いていないということは、車が通常の旋回(定点旋回)状態ではないということになります。
 車が旋回中にタイヤのグリップを失うと、タイヤはそのままの軌跡(同心円)を維持することはできませんし、タイヤが横滑りしている状態では、回転(旋回)の中心点が動くので、タイヤ痕は同心円にはなりません。

 (参考)
 タイヤのグリップ力
 http://www.kurumano-gakko.com/drive/grip.html

 つまり、同心円ではないタイヤ痕は、タイヤが横滑りしていることを示しているのです。
 もちろん、円(弧)が大きくなれば同心円に近い形状にはなるのですが、少なくとも「パッと見て同心円ではないからデタラメ」という石川鑑定人の説明はデタラメです。

 バスの進行方向が変わったことは、検察側が提出した科捜研の算定書にもはっきりと書かれているのですから、同心円ではないタイヤ痕があり、後輪のタイヤ痕がないのならば、白バイの衝突によってバスの前輪が横滑りした可能性を考えるのが当然でしょう。

→【斜行スリップ説】
→【斜行スリップ説に対する疑問】
→【裁判ではタイヤ痕はどのように認識されていたのか?】
 

【白バイは速度超過だった?】 

 弁護側は、白バイが走行訓練中であった可能性を指摘し、速度超過(100km/h以上)だったと主張しています。
 走行訓練の主張については、具体的な根拠がないだけでなく、状況から考えても無理があります。
 また、速度超過がなければ白バイが事故を回避できないのは不自然であるという主張もありますが、必ずしもそうとは言い切れません。

→【白バイの違法訓練?】
→【白バイの速度と回避行動】

 弁護方針と言うことでは、弁護側の無罪の主張は、バスが止まっていた事を前提としていますが、検察側の主張はバスが動いていた事を前提にしているので、バスが止まっていれば、白バイの速度がどうであろうと関係なく「無罪」になります。
 バスが動いていたことを前提にすれば、白バイの速度が過失の有無に影響する事も考えられますが、弁護側はそのような主張はしていません。

→【バス側の過失について】

 白バイに速度超過があれば、「信頼の原則」(自己が交通ル-ルを守って運転している限り、他の車両も交通ル-ルを守るであろうことを信頼して運転すれば足りる)が適用され、バス側の過失が否定されるはずだという主張もありますが、バス側の横断右折行為は、横断等禁止違反(道路交通法25条の2第1項)に該当しますので、白バイの速度超過があったとしても「信頼の原則」は適用されません。

→【横断等禁止違反】

 (参考)
 信頼の原則について
 http://members.jcom.home.ne.jp/0110maito/monndai6.html

 結局、弁護側の白バイの速度超過の主張は、バス側の過失の有無を左右するものではなく、情状面で有利な事情に過ぎないということになります。

 裁判所は、白バイの速度は60km/hあるいはこれを若干上回る程度(地裁判決文16頁)と認定し、弁護側の主張を退けました。
 白バイの走行速度については、物的証拠はないので、弁護側と検察側のどちらの証言がより信頼性があるかということになりますが、弁護側証人が被告人と無関係の第三者であり、検察側証人が事故を目撃した白バイ隊員だったため、裁判所の判断は不公平だとする主張がなされています。
 しかし、弁護側証人の証言が採用されなかったのは、証言内容に曖昧で不自然な点があったからです。

→【弁護側証人の証言が採用されなかった理由】
→【事故を目撃した白バイ隊員の証言について】
 
 

【量刑不当?】 

 K氏(バスの運転手)は、禁固1年4ヶ月の実刑判決を受けました。
 この点、刑が重すぎるのではないかという疑問が提示されており、弁護側も、二審において量刑不当を主張しています。

 確かに、被害者が死亡しているという重大事故ではありますが、裁判所もK氏の運転態様自体は無謀なものではないと認めていますから(地裁判決文 19/19)、執行猶予が妥当なようにも思われます。

 しかし、量刑には、被告人の態度(裁判での主張)も考慮されます。
 これが、事実関係を争ったというだけで刑が重くなったというのであれば問題なのですが、その争い方が、状況証拠すら示さずに警察による証拠捏造を主張したのですから、裁判官の心証が悪くならない方がおかしいでしょう。

被告人は、反省の弁を述べるものの、他方で、客観的証拠から認定できる事故の状況とは異なり、単なる記憶違いや思い違いとは言い難い独自の弁解に固執し、これに沿わない証拠はねつ造されたものであるなどと主張して、本件における自らの責任を否定しているのであって、過失によるものとはいえ、自己の行為によって人の死に至らしめたことに対する真摯な反省の情を示すところがない。
被害者を悼む遺族が、被告人のこのような言動を被害者を愚弄するものあるとして憤慨し、また、かかる言動によって苦しめられているというのは当然である。

(地裁判決文19頁)

(略)反省の情の点についてみると、既に説示したとおり、捜査には何の疑問もなく、また、被害者が警察官であれば、責任を免れるため殊更虚偽の供述をしても良いということはないから、被告人が、責任を免れるために明らかに不合理な供述をしており、真摯な反省の情に欠けていることを刑を重くする1つの理由とするのは正当である。
(高裁判決文23頁)

→【裁判での弁護について】
→【弁護過誤?】
 
 

【記憶=真実?】 

 裁判所がバスが動いていたと認定した事について、裁判で証言をしていない生徒を含め、弁護側証人を「嘘つき」呼ばわりしたのも同然だというような論調も見られますが、これは誤解というより曲解です。

 (参考)
 超常現象の謎解き(記憶編)
 http://www.nazotoki.com/step2.html

 参考サイトを見て下さい。
 決して冗談で引用したわけではなく、記憶がいかに不確実なものかということについて、わかりやすく解説されています。

 記憶というものが、必ずしも「真実の記録」とは言えないということが分かっていれば、記憶に基づく証言も、決して鵜呑みにはできないものだということがわかるでしょう。
 裁判において、証言が採用されないというのは、証言の正確性に疑問があるということであって、証言者が嘘をついていると判断したという意味ではないのです。

→【弁護側証人の証言が採用されなかった理由】

 (追記)
●生徒の証言について

 バスに乗っていた生徒達のほとんどは、バスが止まっていたと証言しているようですが、当初の新聞の取材では、止まっていたと証言した生徒は3名で、ほとんどの生徒がわからないと答え、また、3名の生徒は動いていたと答えていたようです。

本紙はバスに乗っていた生徒のうち、二十人から対面で話を聞いた。
事故の瞬間の明確な記憶が残っていない生徒も多いが、三人が『バスは止まっていた』とする一方で、同数の別の生徒が『バスはゆっくりだが、動いていた』と答えており、弁護側の主張に全面的に沿ったものとも言えなかった。
(高知新聞 2007年10月28日 朝刊)

http://www34.atwiki.jp/madmax_2007/m/pages/390.html

 バスの運転手(以下、K氏)や支援者は新聞記者の誘導があったと考えているようですが、新聞記者が警察の主張に沿う証言を引き出そうとする動機がわかりません。
 K氏によれば、記者の取材も「異常」で、記事の構成も「不公平」だということですが、K氏側の説明に疑問があれば、それについて質問をするのは当然ですし、裏が取れない話や矛盾がある話を、そのまま記事にするような事も、普通はしないでしょう。

→【ネット上で見られる誤解】
→【マスコミ報道について】

 むしろ、生徒達のほとんどが署名集め等の支援活動に参加したことを考えると、証言が変わったことについては、事後情報と話し合いによる「記憶の変容」があった可能性が強く疑われます。
 さらに、支援活動に参加したことで、中立的な第三者という立場も失われてしまいましたから、今後、国家賠償請求訴訟で証言台に立つことがあるとしても、証言の信用(正確)性は、当然疑われることになるでしょう。

  
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