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【ネット議論の意義】 

●納豆ダイエット

 実際問題として、個人が持っている専門的な知識は、たいがいは仕事や趣味の分野に限られます。
 それ以外の分野では「素人」なのですから、「専門家」による「解説」や「実験」を信じてしまうのは、ある意味当然であり、仕方がないことでしょう。
 しかし、そこに間違いが混じっていることが分かってしまうと、単に情報の正誤というレベルを越えて、「胡散臭さ」まで感じてしまいます。
 事実、「専門家」の威光で「素人」を騙すのは、簡単なことでしょう。

●アポロ月着陸捏造説

 もっとも、間違いを見抜くことができる人にとっては、そのテの話は「トンデモ論」以上でも以下でもありません。
 「専門家」が出て来たところで、逆に「胡散臭さ」が強調されるだけです。
 いちいち反論するのもバカらしく、これが、TVのバラエティー番組のように、お笑いで済むならば、生暖かい目で見守るのが大人の対応ということなのかもしれません。

●霊感商法

 しかし、時にはお笑いでは済まされないようなこともあります。
 そういう時は、例え「トンデモ論」でも、正面から反論する必要があると思います。
 もっとも、「確証バイアス」に囚われている人(信者)に対しては、何を言っても無駄ですから、そういう人を相手に議論をしようとしても、空回りするだけです。
 「トンデモ論」に反論するのは、「信者」と議論するためでも、まして「信者」を「サルベージ」するためでもなく、これ以上、「信者」を増やさないように、冷静に考えるための足がかりを提示するためです。
 そういった意味で、ネットは非常に有効な道具だと思います。

→【ネット議論の可能性】
 
  
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【ネット議論の可能性】 

●宇宙人は地球に来ている

 ネット上の議論においては、基本的に自説が正しいかどうかを「証明」することはできません。
 そこで行われるのは「仮説」の積み重ねであり、何かしらの結論が出たとしても、その結論自体も「仮説」の一つでしかありません。
 しかし、それでも、「仮説」の積み重ねによって「真実」に近づくことは可能であると思います。

●祭り

 私自身が、ネット議論の可能性を意識したのは、2chで起きたある「祭り」がキッカケでした。

 事の発端は、子供がいなくなったから探して欲しいという父親の訴えでした。
 この話を聞いて心配した人達が、善意で自身のHPで情報提供を呼びかけ、2chにスレッドが立ったときも、子供探しに協力しよう、という論調でした。
 しかし、その後、父親の説明に不自然なところがあるという指摘がなされました。
 子供が行方不明なのに警察に捜索願いを出しているという話がなく、また、子供が行方不明になったときの状況や、その時の子供の服装などについての説明も曖昧なものだったのです。
 関連情報の収集や、父親本人に対する質問なども経て、議論が重ねられた結果、至った結論は、母親が子供を連れて家出をしたというものでした。
 子供が行方不明になったという重大事だけに、実際に警察が出てくる騒ぎになったのですが・・・
 結局、最後は、父親が逮捕されました
 真相は、家庭内暴力(DV)に耐えかねた母親が、子供を連れて逃げた、というものだったのです。

 この「祭り」自体は、語り草になるほど有名なものではないのですが、綺麗にオチが付いたという点でも、冷静な議論が行われたという点でも、珍しいケースだと思います。
 このときの議論では、可能性が高いと思われる「仮説」を選ぶという方向で、検証が繰り返されました。

→【ネット議論の手法】

 

【ネット議論の手法】 

●オッカムの剃刀

 可能性の高い「仮説」の積み重ねによって「真実」に近づくことができるとして、問題は、「可能性の高さ」を判断する基準です。
 私は、この基準は「常識」でいいと思っています。
 というより、「証明」が不可能なネット上の議論では、他に判断基準がありません。
 もちろん、何を「常識」とするかは、個人の感覚でもあるのですが、不特定多数が参加するネット議論では、参加者の多くが妥当と考えることが「常識」としての意味を持ち、議論の積み重ねによって、その「常識」が具体化していきます。

 例えば、ある事象(結果)が起きた原因(理由)を考えるとして、いくつかの「仮説」が提示されます。
 さらにその「仮説」の根拠となる理由(仮説)が提示され、さらにまたその理由が・・・と、仮説の検証が繰り返されていくのですが、個々の検証の段階ではそれなりの説得力があったとしても、最終的に全体を俯瞰して見ると、最終的な結果と発端となる理由を結ぶストーリーがチグハグになっていることがあります。
 連載漫画のストーリーがどんどんエスカレートしていくように、「その場しのぎの仮説」でつじつまを合わせても、話が大ゲサになり続け、最後は筋書き自体が破綻してしまうのです。
 最終的に、多くの人が納得できる(破綻のない)筋書きが出来あがったとき、それが「真実」に近い可能性は極めて高いと考えられるわけです。

●過ちては改むるに憚ること勿れ

 ネット上の議論で真実に迫ろうとするならば、一つの仮説に固執してはいけません。
 「確証バイアス」が働いてしまったら、いくら議論を重ねても、それ以上の検証は出来なくなってしまいます。
 様々な可能性をニュートラルな立場で検証するためには、あり得ないと思われる仮説であっても、頭から否定するようなことはせずに、なぜあり得ないのか、その理由を考えることが大切です。
 相手を論破するゲームをしているわけではないのですから、自説を固定する必要もありません。
 新しい情報が出て来て自説を支えていた前提条件が崩れるかもしれませんし、議論を通じて自分が今まで見落としていたことに気付くかもしれません。
 他により妥当な(可能性が高い)仮説があると思ったら、自説を変えるのは当然かつ必要なことなのです。

 
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